久留米絣の技術は江戸時代の末に考案された。久留米に住む井上伝が、白い斑点ができた古布を解き、これをヒントに白糸をくびり、藍で染め、織って模様をつくりだしたとされる。その後、絵絣の発明や、織り機の改良などの創意工夫により、庶民の普段着として全国的に有名になり、伊予絣・備後絣と併せ日本三大絣と称された。藍色と白色の組み合わせによる文様は、素朴な中にも高い芸術性が漂う。現在は久留米市・筑後市・広川町を中心に伝統的な技術が継承されている。