明治24年に隣町大原にあった大原あやつり人形を譲り受け、恵比須座を作ったもの。この地は博多湾の根にあたる部分で古くから海運業が栄え、経済的に豊かであったが、若者の間に賭博が流行したため、大原の鯉川弥蔵が操人形を採り入れ、悪習の改革をはかったことに始まる。明治期には人形芝居廃止が決議されたが、廃れることを惜しみ、今津の人々が道具一式を購入、新たに恵比須組が誕生した。博多・糸島各郡から招かれ好評を博したと言い、現在頭が50、諸道具が残されている。3人遣いの文楽等とほとんど変らないが、近年小学生を中心とした子供会が参加している。