安永2年(1773)、柳河藩主立花鑑通の命により田代地区に八龍神社を創建し、鉦や太鼓、笛等を打ち鳴らす風流と行列を伝えたのが始まりとされる。祭礼当日は、夜明け前に田代川で禊を済ませ、当番の座主宅から神社までの道のりを大名行列を仕立てて神輿の供をする。道化役の「はさみ持ち」が口にする風流文句、4m余りの毛槍を投げ渡す「人重壁(にんじべい)」の手さばき、奴姿の若者の太鼓と踊が行われる。