明治時代の初め、鰐八襲来で浄瑠璃を語る者が現れ、祝の席でひょうたんや徳利を人形に見立て踊らせていたが、その後、浄瑠璃人形や舞台を作り、各地から指導者を招聘して本格的な座(鰐八座)となったとされる。現在では、旭座人形芝居会館で人形繰り、義太夫三味線の継承活動を行い、年3回の定期公演を実施している。頭60数個のほか、衣装・手足・諸道具類も多く残されている。