豊凶を占うため粥を用いることは全国的に行われているが、北部九州独自の方法として、粥又は飯を伝来の鉢に盛り、半月から1か月放置して、それについたカビの種類やカビの生え具合により、その年の豊凶や天候を占うというものがある。飯盛神社の粥占は青柳氏が伝えていた行事と考えられ、明和3年(1766)年になり、青柳氏を「社僧」として祭に復帰させることで、復活したと考えられる。粥占の判定方法は、青柳本家、青柳分家、大内家に口伝で継承され、判定は3家の合意で決定される。終わると粥は拝殿の一番手前に置かれ、粥を載せた案に粥占の結果が貼り出される。稲作が盛んだった頃は、粥占の結果を見ようと近隣の農家が大勢参拝して、それを参考に作付けしたという。