筑後平野の北部にある8世紀の郡衙跡であり、全国に600ほどある郡衙の中でも全体像のわかる数少ない例である。遺跡は大きく2つの方形区画で分けられ、東側は郡庁・曹司院と考えられ、西側は大溝で囲んだ正倉院と考えられる。当地は旧筑後国御原郡にあたり、その郡衙とみられる「小郡官衙遺跡」はⅢ期に軍事的要素のある様相に変化する中で、郡衙機能が下高橋官衙遺跡へ移転したと推測されている。