総高93cmを測るこの鐘は、南北朝時代の銘を消して、天正の追銘を入れたものといわれる。制作地は肥前と伝えられ、肥前鐘の遺例として、また博多の興亡を物語る遺物として貴重である。南北朝の銘の一部は、 大工肥前国上松浦山下荘 康永三年(1344)とあり、天正の追銘は、次のとおりである。 天正五(1577)丁丑十一月吉日 豊後国北浦部郡国東郡都用庄 領家住人綾部玄蕃允藤原理昌