方形の銅板の両面に法華経と梵文の般若心経を線刻した銅板経とそれを納める金銅の筥。室町時代に求菩提山の普賢窟で発見されたもの。33枚目の銅板経の奥書、銅筥底裏の銘文などから、康治元年(1142)、大勧進の頼厳ほか十余人の人々によって造顕供養されたことがわかる。銅筥外側面の、並坐の釈迦・多宝二仏、弥陀三尊などの図像は、数少ない平安時代の絵画資料でもある。とくに、弥陀三尊の図は、浄土教の思想が経典を不朽に伝えるという経塚本来の信仰と並んで、埋納品にも形として具体的に表れた例として注目される。