玄海灘に浮かぶ沖ノ島に奉献された祭祀遺物。沖ノ島は古代日本と朝鮮・中国の間を航行往来する人々や近隣漁民の厚い信仰に支えられ、後には三女神の鎮座する神域「宗像大社沖津宮」として保護されてきた。遺跡は島の中腹部、巨岩の岩上や岩陰に祭場を設けたものが中心。出土遺物は時代とともに変化し、4~5世紀代は、鏡・武器・装身具、6世紀代はカットグラス・馬具・金製指輪などの舶載品や、滑石製・鉄製の模造品が奉献される。7世紀代は、土器、金銅製の雛型が主となり、盛唐時代の唐三彩長頸瓶や東魏時代の金銅製龍頭などの中国からの舶載品が奉献されている。8世紀代になると露天に設けられた祭場に、土器・滑石製形代が主体となる。古墳時代以降、平安時代に至るまでの上代祭祀の状況をよく伝えており、他の祭祀遺物と比較してもきわめて異彩を放っている。