鴻臚館跡は、古代、外国からの賓客をもてなすための饗応・宿泊施設で、平安時代には平安京・難波・筑紫に置かれた。なかでも筑紫の施設は、当初「筑紫館」と呼ばれ、7世紀末まで遡ると考えられている。調査では、北館と南館の2つの施設が確認されており、8世紀前半には瓦葺きの壮麗な建物へと整備され、11世紀頃まで使われ続けた。中国や朝鮮半島、イスラムからの輸入陶磁器が多量に出土するなど、国際交流の窓口として機能していた。なお、福岡市西区の女原では鴻臚館に平安時代の瓦を供給していた窯跡が見つかっている。