福岡城は、黒田長政が慶長6年(1601)〜慶長12年(1607)にかけて築城したとされる。往事は城内に櫓47棟を有した壮大なものであったが、当時のままの位置を留める櫓は南丸多聞櫓のみである。多聞櫓は南丸西南隅の石垣上に位置し、南西隅にある二重2階建切妻造の南角櫓と桁行30間の西平櫓からなる。棟札によれば、嘉永6年(1853)に平櫓の南寄り28間が建て替えられたとある。平櫓の内部は、通常、突き抜けの状態である事例が多い中、本櫓は16の小部屋に分かれている。高い石垣上に築かれ、石落が供えられていることから、多聞櫓は防御のための櫓で、平素は倉庫等に利用していたものと考えられている。