福岡県の現在の県域は筑前国、筑後国、豊前国の旧三国から成り立っています。関ヶ原の戦いの後、徳川家は軍功のあった諸大名をこの三国に配置します。黒田長政に筑前国を、細川忠興に豊前国と豊後国の一部を、田中吉政に筑後国を与え、諸大名はそれぞれ福岡、小倉、柳川に居城を構え城下を整備します。元和6年(1620)、田中家が改易されると筑後国のうち北半の久留米に有馬豊氏が、南半の柳川には立花宗茂が入ります。その後、細川家の熊本転封により豊前国に小笠原家が入り、各藩に支藩ができるなどの変遷を経て明治維新を迎えました。城内にあった書院や櫓、門などの建物の多くが城の機能を失った明治期以降、取り壊されたり移築されたりします。僅かですが黒田家がいた福岡城とその支藩があった秋月城に櫓と門が保存されています。
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