三池炭鉱は江戸時代から三池藩や柳河藩によって採掘が行われていたが、明治6年(1873)に官営化、明治22年(1889)に三井組へ払い下げられた。以降、平成9年(1997)年の閉山に至るまで、日本の近代化や戦後復興を牽引していった。宮原坑は三池炭鉱の主力坑で、明治31(1898)年に第一竪坑(主に揚炭、入気、排水)、明治34年(1901)に第二竪坑(主に人員昇降)が開坑した。三池炭鉱宮原坑施設は、竪坑の機能の基幹をなす櫓と巻揚機室が揃って残っている。竪坑櫓は高さ約22mの鋼鉄製の櫓で、上部の滑車に巻揚機からの鋼索を介して竪坑内にケージを吊り下げる役割を果たす。巻揚機室は、レンガ造、切妻造、平屋建、屋根はスレート葺(当初は瓦葺)で、内部に2基の巻揚機及びウインチを据える。三池炭鉱宮原坑施設は日本の近代化を支えた炭鉱施設であり、炭鉱施設の技術的発展を示した典型的な建造物として重要である。