駛馬天満宮に残された石塔で、複数の塔の部材を集めて積まれている。中央の八角の塔身の正面には如来坐像を彫り、横には四天王立像を刻む。やや荒い彫りであるが、力強く量感豊かな像である。最下部にある笠に刻まれた銘から、貞和6年(1350)につくられた五重石塔であったことがわかる。また「禽獣の露を争ふ我なれや豊葦原の風に散りなん、後の身のかたみの石は塵世にも方らば知らぬ世にも伝へよ 南無阿弥陀仏」と和歌が刻まれている。この時期に活躍した藤原助継という石工の作とされるもので、現在9基発見されているうちの一つ。