本件は、田川郡香春町の宮原遺跡から発見された銅鏡である。宮原遺跡は、同町大字採銅所に所在し、香春岳の東側に位置している。明治36~37年(1903~1904)頃、弥生時代後期~終末期(1世紀~2世紀頃)の2基の箱式石棺墓から中国の後漢(25~220)で製作された鏡2面(1・2号鏡)、大型鏡1面の破片と国産の鏡1面(3号鏡)の計4面が出土した。大型鏡の破片は破損が著しかったため、発見者により周辺に捨てられたとされ、現在は3面が残っている。1・2号鏡は、その文様から「内行花文鏡」と呼ばれるものである。1号鏡は、直径19.5㎝で、ほぼ完全な形を保っている。文様の間には、「長生宜子」などの吉祥句が見られる。2号鏡は、後漢で製作された内行花文鏡(直径12.3㎝)、3号鏡は、「小形仿製鏡」と呼ばれる国産の鏡(直径9.5㎝)である。本件の1号鏡は、遠賀川流域内で最も大きく、他の2面の鏡を含めて、状態が良いままで現在まで残っている。この時期の銅鏡は、地域の首長クラスの墳墓に1面ずつ副葬されることが多いが、宮原遺跡では2面ずつ出土したことから、埋葬されていた人物は有力な首長であったことがうかがえる。以上の理由から、3つの銅鏡は、弥生時代後期~終末期に、この地域に有力な首長が存在していたことを示す資料であることと、当時の中国大陸と日本列島の鏡製作技術を学ぶことが出来る貴重な文化財である。