享保元年(1716)4代藩主立花鑑任公が、祈願成就のため宝満宮に「能楽」を奉納し、これが現在の「新開能」の始まりといわれている。当時は、藩のお抱え能楽師であった大善寺の美麗田楽師梅津家が勤め、寺社奉行が執行していた。当時から氏子たちは、諸道具の運搬や手伝いをしており、やがてツレ、ワキ等も勤めることが可能になり、能がこの土地に定着していく。明治以降は、氏子の自主運営により毎年10月第3土曜日に奉納され現在にいたっている。流派は喜多流に属しており、「農民能」として全国的に貴重な芸能である。