天平13(741)年、天武天皇は全国に国分寺・国分尼寺を建立するよう詔するが、大宰府の膝元にあった筑前国分寺は西海道のなかでいち早く完成したとみられる。回廊の北辺に金堂を配し、回廊の中には東側に塔を備え、金堂の北側には講堂がある。それらを囲む192m四方が寺域となる。塔は七重塔とみられ、その超高層建築は鎮護国家のシンボルとして聳えていた。国分寺の西方には国分尼寺があり、水城東門を抜ける官道から枝分かれした道が両寺の方へと伸びていた。