弥生時代の拠点的な集落で、南北1,500m、東西750mの範囲に広がる。魏志倭人伝に記される「伊都国」の王都として古くから注目されていた。弥生時代初期(約2,500年前)の支石墓と言われる巨石を用いた墳墓や弥生時代中期(約2,000年前)の中国鏡57面以上、ガラス璧、ヒスイ勾玉、銅剣などが副葬された王墓が見つかっている。この他、中国製の土器(楽浪系土器)や板石硯など、魏志倭人伝に記載された、「一大率」が置かれたとされる伊都国の重要性を示す遺物が多数出土している。