平原遺跡は、昭和40年(1965)、開墾中に偶然発見され、その後発掘調査が行われた。弥生時代後期(約1850年前)の方形周溝墓から40枚もの銅鏡や多数の副葬品が発見されている。その副葬品の豊富さから、葬られているのは『魏志倭人伝』に「世有王」(代々王がいた)と書かれている伊都国王の一人と考えられている。被葬者は女性と推測されており、副葬された鏡の中には国内最大の大きさ(直径46.5cm)の内行花文鏡が含まれている。