663年の白村江の戦いに敗れた倭(当時の日本)が、国内の防備を堅固にするため665年に築いた古代の山城である。大宰府跡の北にある四王寺山の稜線に沿って土塁がめぐり、谷部は石塁が構築されている。城周は約6.6kmで、北側と南側は土塁が二重にめぐるため、土塁の総延長は約8kmにも及ぶ。これまで9ヶ所の城門跡と70棟を超える建物跡が確認されている。城門や建物は奈良時代に瓦葺礎石建物へと変わるが、大宰府跡と同じ瓦が使われている。