官営だった三池炭鉱は、明治22(1889)年に三井に払い下げられ、以降日本近代化の牽引役を担い、大牟田地域の主力産業として経営拡大された。宮原坑はその主力坑で、明治31(1898)年に第一竪坑、明治34(1901)年に第二竪坑が開坑し、明治・大正時代を通じて年間40~50万トンの出炭を維持していた。第二竪坑は平成9(1997)年まで稼働していたため、巻揚機室及び竪坑櫓は良好に残る。産出された石炭の輸出に関わり、輸出港である三池港へ石炭を搬出するための専用の鉄道敷が残り、三池港には旧長崎税関三池税関支署の建物が残る。隣接する熊本県荒尾市の万田坑も一体の史跡として保存されており、これらは、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産である。