弥生時代中期(約2,000年前)の拠点的な集落で、これまでの調査で130軒を超える住居跡や多数の墳墓が見つかっている。直径15mを超える日本最大級の竪穴住居や、青銅器の鋳型などの鋳造関連遺物や舶来してきた鉄斧を再利用した道具が出土した竪穴住居跡が見つかっており、一般的な住居とは異なる性格をもつと考えられる。2号甕棺墓からは鉄剣、鉄戈、ガラス製勾玉、南島で産出するゴホウラを使用した貝輪が見つかっている。貝輪は人骨の右腕に装着されたまま見つかっており、髪飾りに使われたとみられるガラス製品も頭蓋骨付近で見つかっている。奴国の中でも有力者が納めていた集落であったことが分かる。