櫻井神社は慶長15年(1610)6月の豪雨により古墳石室が開口し、霊験あらたかという理由から信仰を集めるようになった。その後、福岡藩二代藩主黒田忠之の篤い崇敬を受け、藩主自ら社殿造営を発願、寛永9年(1632)に本殿が竣工した。創建当初より「与止姫大明神」「岩戸宮」と呼ばれていたが、明治2年(1869)に櫻井神社へ改称された。本殿は、三間社流、檜皮葺、浜床付、本殿周囲は霧除けで覆われる。本殿背後には岩戸神社があり、岩窟の上に銅板葺の覆屋で保護する。拝殿は、正面3間、側面3間の切妻造、銅板葺(かつては瓦葺)である。楼門は、三間一戸、入母屋造、銅板葺(かつては瓦葺)である。拝殿・楼門は寛永9年建立の本殿とほぼ同時期に建設されたとされる。櫻井神社本殿・拝殿・楼門は17世紀建立当時の形状を良く残しており、社殿で優れた神社境内の景観を形成している。