永沼家は、大分県境に近い山間部に位置する農家で、代々庄屋を務めていたという。祓川沿いの街道に位置し、敷地は背後に山が迫る狭隘な敷地で前面に石垣を築く。桁行10間、梁間5間半、入母屋造、茅葺の直屋で四周に下屋をつける。北側3間半が土間で奥に台所を配置する。土間に面して室を配置しており、正面側に「ひろま」、式台が付く「なかのま」、「まえざしき」をとり、背面側に「へや」、「おくのへや」、「おくざしき」等を配置する。「まえざしき」、「おくざしき」には縁を廻し、「おくざしき」には床・棚・付書院を備える。福岡県東部を代表する直屋の農家建築であり、当家に残された普請帳に天保10年(1839)建築の記録があり建築年代や工程が判明するものとしても貴重である。