表面の蒔絵は、木地がみえるほどの薄い朱を帯びた黒漆地に、金泥で流水を描き、厚梨地の土坡を左右に配し、それぞれに梅と松を金泥で描く。樹木の節や苔には絵梨地、樹脈には針描きを用い、梅花には金泥で縁取りした中に金銀泥・梨地を用いる。裏面中央に「信元(花押)」と金泥で記されるのは、太宰府天満宮の五別当家の一であり、当時天満宮の留守職を務めた小鳥居信元。片側に偏した構図や、黒地の広い空間に簡潔な技法と文様により閑雅な趣を出した蒔絵技法は、桃山時代に盛行した高台寺蒔絵様式に近く、その先駆側として、また室町時代の数少ない蒔絵品の伝来が明らかな基準作として貴重である。