もと福岡市住吉神社の神宮寺であった円福寺のものであったが、明治の神仏分離の際、福岡市博多区東光院に移された。像高88cm、檜の一材から頭体部をつくり、前後二材に割矧して、内刳がなされ、頸・肩・手首・膝等で矧ぎ付けしている。左手に薬壺を持ち、偏袒右肩の着衣に、左足を上に結跏趺坐している。古様な顔・低い膝・穏やかな彫法から平安時代後期の様式を示している。