総高79.4cmで、乳は4段4列、撞座は2個。銘文が陽鋳され、そこから建保3年(1215年)に豊前小倉の鋳物師であった坂田家守によって、造られたことがわかる。『筑前国続風土記附録』や『筑前国続風土記拾遺』によると、江戸時代末頃まで朝町八幡宮にあったが、明治時代の廃仏毀釈を機に移され、その後東禅寺に伝わった。