長年にわたって筑豊炭田にかかわりをもった山本作兵衛の手による精細な炭坑記録絵画。14才で山内炭坑の坑夫として入坑し、昭和30(1955)年に位登長尾炭坑の閉山に際して退職するまでの50数年にわたり炭坑労働に従事した。昭和32(1957)年、田川市弓削田の長尾鉱業所に勤務するかたわら、自分の体験と記憶に残る炭坑の風俗・生活を後世に伝えようとして「ヤマ」の記録絵画を描きはじめ、昭和39(1964)年に退職するまで炭坑記録絵画の制作に没頭した。明治中期以降の重化学工業化推進の原動力であった石炭産業現場の風俗や生活を詳細に描いた唯一の体系的な記録絵画で、歴史・民俗資料として極めて価値が高い。