植木は遠賀川の重要な川港として、近隣との交流が盛んであり、いつのころか時衆の念仏衆の基地として、空也聖人堂等が建てられ、又地方歌舞伎の一団が「植木役者」と呼ばれ諸国を巡業していた。帰郷した役者が毎年正月の申の日に日吉神社に奉納した芝居「三申踊り」があったが、この人達が念仏踊りに新しい要素を加えて広めたのが、遠賀川筋各所に残る盆踊りと考えられている。七七五の詞を素朴におどる「思案橋」、女舞の「次郎左くずし」、踊りに職業などの動作を入れる「七手」、五七調でやや長い詞を優美に踊る「本手」がある。踊大傘を中心にして三味線・カンカラ太鼓(小太鼓)の囃子で、浴衣に深編笠をかぶる踊手が、輪になってまわる。