高さ136㎝の大形の板碑。正面の上部に大きく胎蔵界大日如来を表す梵字を刻む。梵字下部の銘文は風化により判読しがたいが、建武3年(1336)丙子十月二日の年号が読み取れる。建立の経緯は、足利尊氏が九州における戦の戦死者供養のために明窓という禅師にお願いしたという説があるが、近年では粥田荘の時代、祇園社の宮司が不慮の死をとげ、その死を悼むために建立したという説もある。