下伊加利の宇賀神社境内で、正月巳日に旅芸人達が、一人遣いの串さし人形浄瑠璃を奉納するのが慣わしであった。明治期に種々の理由で廃絶。明治3年に当地の人形師中園孫平の作った神幸山笠の人形を利用して、素人人形芝居の奉納に変わった。明治32年に中津市北原の淡路系人形芝居の師匠吉田藻五郎、人形遣い松本鉄蔵を招いて、当地に永住させ、本格的に習練が始まった。以前は二〇加(にわか)座・弁天座とも称し、昭和9年、22年に中津人形座から人形衣装を購入、3人遣い法の習得に努め、遠賀川筋の各地から農閑期に招かれていた。