宝篋印塔とは仏塔の一種で、もともとは「宝篋印陀羅尼」という経典を納めたことからその名がある。墓や供養塔としてさかんにつくられた。この宝篋印塔には経筒・銅板が収められており、それらの記述から寛政9年(1797)に芦屋・山鹿地区でおこった大火事での犠牲者を供養するために、僧豪潮によって享和3年(1803)にたてられたものであることがわかる。高さ6mを超える、堂々とした造りである。