福岡市と糸島市の境にある高祖山の西斜面に築かれた古代山城で、『続日本紀』によると、756年から768年まで、約12年をかけて造られたとされる。吉備真備が築造を担当しており、担当者と築造期間がわかる稀有な例である。斜面から平地部にかけて「たすき」状に城郭を形成しており、当時の中国の技術が用いられていることから中国式山城と言われる。8か所の望楼跡や2kmにわたる土塁が確認されているものの、そのほかの施設に関してはいまだ不明な点が多い。