江戸時代には庄屋を務めた藏内氏は、明治中期から昭和中期にかけて炭鉱及び鉱山の経営により財を成した。本邸としてその間に整えられた邸宅の庭園は、玄関前の表庭、主庭、3か所の中庭、大広間棟の西側の裏庭の6つの空間からなり、九州の炭鉱経営者が造営した代表的な近代庭園の1つである。主庭は園池を中心とし,中島・枯滝(かれたき)石組・築山などを設け,石燈籠を各所に配置するほか、園池北西部には枯流れなどが造られる。各種の高木、低木が植栽される。3つの中庭は、自然石の水汲み場を設け、六角燈籠,飛び石などを配置するもの、短冊形に加工した石を縦に2列に敷き並べて通路とし,分岐点に円形の切石を用いるものなど、多彩な意匠を特徴とする。