うきは市は福岡県東南部の筑後川中流域に位置し、江戸時代を通じて城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿駅として機能した。江戸時代中期以降には商品作物の栽培・加工及びその集散や、「吉井銀」と称された有力商人の金融活動などにより繁栄した。 筑後吉井地区は、豊後街道などの街路沿いに漆喰塗の重厚な町家が連続する町並みと、災除川と南新川沿いに広がる屋敷群からなる。明治2年(1869)の大火を契機として、吉井では草葺の町家にかわって瓦葺塗屋造が普及し、経済の最盛期であった大正期にほぼ現在にみる町並みが形成された。町家や土蔵が連続する町並みと、豊かな緑に包まれた屋敷や社寺建築、さらに吉井の経済基盤を支えてきた河川や水路などが一体となって歴史的風致を形成しており、筑後地方の商業都市として、特色ある歴史的景観を良好に伝えている。