鎌倉幕府は、文永の役(1274)の後、元の再攻に備えて薩摩・日向・肥前・肥後・筑前・豊前など九州9か国に防塁の築造を命じた。1276年には福岡市西区の今津から東区の香椎までの20kmにわたって9か国が分担して防塁を築いた。担当した国が異なることから、場所によって基盤の造り方や石積みの方法など築造技法が異なっている。現在、今津・今宿・生の松原・西新・箱崎等の11地区の防塁が国指定史跡となっている。